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東京べったら漬

東京べったら漬

  • べったら漬の歴史は古くは、江戸時代中期まで遡ります。大伝馬町宝田恵比寿神社例祭の市に、百姓さんが飴と糀で漬けた大根を浅漬と称して売り始めたのが最初です。 その時代の若者は買った浅漬大根を縄でしばり振り回しながら、参詣の着飾った娘たちに「べったらだー、べったらだー」と囃したて、 戯れ、追いかけたことから、「べったら漬」の呼名になったと伝えられております。独特の香りと味わいがもてはやされ、第15代将軍徳川慶喜公も好んで食べたというお漬物です。
    天保年間浅草猿若町の二丁目茶屋という店から売出したべったら漬は特に風味がよろしく、世にもてはやされ、今その流れを汲んで漬けているのが東京新高屋で御座います。
    昭和32年には、那須御用邸に参上し、天皇陛下・皇后陛下へ「べったら漬」を献上。昭和40年には、宮内庁にべったら漬を納入するための通行許可書を交付され、宮内庁御用達と呼ばれるようになりました。(注:「新高屋ものがたり」参照) また、弊社の「東京べったら漬」は、全国観光土産品連盟の「観光土産品推奨品」、さらに (東京都)中央区観光協会の推奨名産品としての指定も受けております。
    東京新高屋のべったら漬は、贅沢すぎるほどたっぷり手間隙かけて作り、 食通の皆様から「これこそ正真正銘のべったら漬」とお褒めを頂く当社自慢のお漬物です。この伝統ある江戸風味を御ゆるりと御賞味下さいませ。

永きにわたり皆様に愛されて・・・

  • 昭和天皇の料理番 昭和32年の那須御用邸への献上爾来、
    昭和天皇のお食事は、至ってシンプルで、健康的であったといいます。
    (参考: 昭和天皇の料理番 / 谷部金次郎著)
  • 花柳 章太郎(新派俳優故人) 花柳 章太郎(新派俳優故人)
    新高屋のべったら べったら市  今宵は温(ぬく)き  月明り
    京の千枚漬と共にわたしは、べったら漬を好みます。
    秋口になって味覚が鋭くなって来ると、油っこいものを胃が要求します。
    牛肉、豚ちり、鶏も好きで、いい店のものをたべますが、そうしたあとの香の物はべったらに限ります。日本橋小伝馬町、宝田神社の例祭に(徳川時代)界隈の商人が、露店に商売ものを並べた市の中に、練馬あたりの百姓さんが、麦芽糖で漬けた大根を売った。客に大根を縄で結んで渡したものが行き来の人々に、ベッタリ付いてべったら市といつか名が付いたのが起源といわれてゐる。私は十月になるのを待ちかねて、京、大阪の知人へ送るのが恒例です。その返礼が、千枚漬、酸茎(すぐき)で香物好きの私は、味覚の秋のたのしさに幸福感を深くします。

    初志(はつし)ぐれ べったら市に 及びけり
    海苔、蕎麦、天ぷら、鮨、秋刀魚そしてべったら。関西の豊富な鮮魚や野菜に太刀打ち出来るのは、べったら漬だと。東京生まれの負けず嫌いの私は、新高屋のべったらを味わえる秋が好きです。
 
  • 「べったら漬」は、意外な歴史的人物にも好まれていました・・・
  • 徳川慶喜家の食卓第十五代将軍徳川慶喜公もべったら漬を好んで食べていた好物はべったら漬にカツオブシ。
    「べったら漬は『厚く切ってだすよう』と頼んでいたほどで、おかかは中皿にどっさり盛って、しょうゆをかけて食べていました」
    (参考: 徳川慶喜家の食卓 / 第四代徳川慶喜家君主 徳川慶朝著)

PRにご協力、ポスター出演頂いた皆様

  • 東京べったら漬ポスター

    落語家 初代 林家三平師匠

    落語家 二代目 林家三平師匠

    ・ 東京べったら漬ポスター
      昭和38年、平成20年
  • 爛漫の奈良漬

    女優 岩下志麻さん

    ・ 爛漫の奈良漬
      昭和38年

東京の名産品として

  • 観光土産品推奨品 (全国観光土産品連盟・日本商工会議所)

    全国観光土産品連盟・日本商工会議所

    ・ 全国推奨観光土産品

    >> 参考HPへ

加盟・会員団体等

認定証  

弊社の「東京べったら漬」商品が、【観光土産品の表示に関する公正競争規約】による審査で合格し認定証が発行されました。審査は、公正競争規約に関する①必要事項、②過大包装関係、③特定事項の表示関係、④不当表示関係、⑤JAS法、食品衛生法等に関する表示について審査が行われ合格となりました。

  ●認定証発行元:
全国観光土産品公正取引協議会 / 東京ブランドみやげ品公正取引協議会
●公正競争規約に関する参考書類PDF:
「よくわかる景品表示法と公正競争規約」: 消費者庁
「観光土産品の表示に関する公正競争規約」 : 全国公正取引協議会連合会

加盟・会員団体等